大相撲中継や番付表を眺める中で、「そういえば、現在の北陣親方は誰が務めているのか?」と疑問を抱いた相撲ファンは少なくないはずです。かつて昭和から平成にかけて元関脇・麒麟児が重厚な存在感を放ち、近年では元幕内・天鎧鵬が襲名していた伝統ある年寄名跡ですが、現在の土俵界においてその名前を耳にする機会はめっきり減りました。
日本相撲協会の公式情報を紐解くと、この名跡には角界屈指の人気力士である遠藤聖大の動向や、大相撲界特有の「借株(かりかぶ)」を巡るシビアな人間模様が深く絡み合っています。相撲記者の視点から、北陣親方の最新状況と水面下で起きていた継承劇の真相を総力取材で解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:2026年現在、日本相撲協会の年寄一覧において名跡「北陣」は誰にも襲名されておらず空位(未襲名)の状態にある
- 要点2:名跡証書の実質的な保有者は追手風部屋の人気力士・遠藤であり、自らの現役引退後の親方就任を見据えて保持している
- 要点3:かつて借株で襲名していた元天鎧鵬は名跡変更を経て相撲協会を退職しており、遠藤の引退とともに新・北陣親方が誕生する見通し
【2026年最新】北陣親方は現在誰なのか?日本相撲協会の公式一覧から見る実態
結論から明かせば、日本相撲協会が発表している年寄一覧において、名跡「北陣」は現在、誰も襲名しておらず「空位」となっています。土俵下で審判を務める親方陣や各部屋付きの親方名簿を探しても、「北陣」の四股名を持つ年寄を見つけることはできません。
大相撲には全部で105の年寄名跡が存在しますが、そのすべてが常に誰かに襲名されているわけではありません。資格を持つ親方が定年や退職で離れた後、次の継承者が決まるまで、あるいは名跡の持ち主が現役力士である期間は「空き名跡」として一時的にリストから名前が消える仕組みになっています。
つまり、北陣親方が誰なのかという問いに対する正確な答えは、「現在は不在であり、正式な襲名者は存在しない」となります。しかし、名跡の権利そのものが消滅したわけではありません。その権利証書は、土俵上で今なお鋭い押し出しと端正な相撲で観客を魅了する実力派力士の手にしっかりと握られています。
名跡「北陣」の真の所有者は追手風部屋の人気力士・遠藤!株取得の背景
北陣親方の座が空位となっている最大の理由は、追手風部屋所属の人気力士・遠藤が年寄株「北陣」を取得・保有しているためです。遠藤がこの名跡を取得した事実は、角界関係者の間で大きな話題を呼びました。
大相撲の世界では、現役力士であっても一定の実績(幕内通算在位などの条件)を満たせば年寄株を取得することが認められています。ただし、土俵に上がっている間は自ら親方を名乗ることができないため、引退するまでの選択肢は基本的に以下の二つに限られます。
一つは他の引退力士に一時的に名跡を貸し出す「借株」、もう一つは貸し出さずに「空き名跡」として保持し続ける選択です。遠藤はかつて同じ追手風部屋の兄弟子であった元幕内・天鎧鵬にこの北陣を貸し出していましたが、その後の契約満了に伴い、現在は自身の引退に備えて名跡を手元で温存しています。
師匠である追手風親方(元幕内・大翔山)のもと、名門・日本大学相撲部出身のエリートとして入門した遠藤。早くから将来の協会幹部候補として期待されてきた彼にとって、伝統ある北陣の取得は相撲人としての「確かな第二の人生」を決定づける極めて大きな布石でした。
借株として襲名していた元天鎧鵬の足跡と日本相撲協会を退職した真相
「北陣親方」と検索すると、元幕内・天鎧鵬の名前が多くヒットします。天鎧鵬がなぜ北陣親方を離れ、最終的に日本相撲協会を退職するに至ったのか、その経緯には相撲界の厳しい名跡事情が影を落としています。
天鎧鵬は現役引退後、年寄「秀ノ山」や「佐ノ山」の襲名を経て、2021年に遠藤が所有する「北陣」を借株の形で襲名しました。部屋付きの親方として若手の指導に尽力し、実直な人柄で知られていましたが、借株である以上、所有者が引退を決意した際や契約期間の終了時には名跡を返却しなければならない宿命を背負っていました。
その後、天鎧鵬は2023年1月に「音羽山」へと名跡を変更します。しかし、同年12月に元横綱・鶴竜が独立して音羽山部屋を興す運びとなり、音羽山の名跡を鶴竜へ譲渡することになりました。自前の名跡(持ち株)を確保できなかった天鎧鵬は、規定により協会の年寄枠に残ることが叶わず、2023年12月をもって相撲協会を退職しました。
ファンの間では「北陣親方を辞めた理由は何だったのか」と取り沙汰されましたが、実質的には北陣から音羽山への変更を経て、最終的に正式な株を買い取ることが困難だったことによる無念の角界去りでした。名跡取得のハードルがいかに高いかを物語る象徴的な事例といえます。
大相撲における年寄名跡「北陣」の歴代と格式|名関脇・麒麟児が遺した功績
年寄名跡「北陣」は、江戸時代中期の享保年間に端を発するとされる由緒ある名跡です。歴代の襲名者には個性豊かな力士が名を連ねていますが、近代大相撲において北陣の名を決定的に知らしめたのは、何といっても元関脇・麒麟児和春(多賀竜らとしのぎを削った富士錦の弟子)です。
麒麟児は現役時代、激しい突っ張りとのど輪を武器に「花のサンパチ組」の一角として昭和後期の土俵を沸かせました。引退後は13代北陣を襲名し、長年にわたり審判委員を務め、土俵下での冷静かつ厳格な判定姿勢は多くの相撲ファンに愛されました。
麒麟児が2018年に停年(定年)を迎えるまで、北陣の名は約30年にわたってひとりの名力士によって守られ続けました。そのため、オールドファンにとって「北陣親方=麒麟児」のイメージが今なお鮮烈に残っています。遠藤がこの名跡を引き継いだ背景には、麒麟児が築き上げた清潔感と実力派のイメージにふさわしい継承者とみなされた側面もあります。
角界を揺るがす「借株問題」と北陣をめぐる近年の名跡動向
近年、日本相撲協会は年寄名跡の不透明な売買や金銭トラブルを防ぐため、名跡証書の協会一括管理や襲名資格の厳格化を進めてきました。その中で、力士が引退後に協会へ残るための「借株」は常に議論の対象となっています。
以前は現役力士が保有する株を別の力士が何年間も借り受けて親方を務めるケースが一般的でしたが、貸し手側の引退時期が迫ると、借り手は新たな株を探さざるを得ず、玉突き事故のような形で退職へ追い込まれるリスクが常に付きまといます。天鎧鵬の退職はその痛烈な教訓となりました。
現在、遠藤が北陣を誰にも貸し出さず「空位」のまま保持しているのは、貸出先との間で再び退職トラブルを起こさないための配慮や、自らの引退時期が近い将来に見えていることの裏返しとも分析されています。無用な摩擦を避け、自らが指導者へ転身するその日を静かに待つ戦略的な選択といえます。
【北陣親方の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:北陣親方は現在、誰が襲名していますか?
A1:2026年現在、日本相撲協会の年寄一覧において北陣親方は空位(未襲名)となっています。誰も親方として北陣を名乗っていません。
Q2:遠藤関が引退したら北陣親方になるのですか?
A2:その可能性が極めて濃厚です。遠藤関はすでに年寄名跡「北陣」を取得・所有しており、現役を退いた際にはそのまま「北陣親方」を襲名して追手風部屋付きの親方、あるいは将来的な独立を目指すものと見られています。
Q3:元天鎧鵬の北陣親方が相撲協会を退職した本当の理由は何ですか?
A3:元天鎧鵬は遠藤関から北陣を借株として借りていたため、名跡を返却した後に「音羽山」を一時襲名しました。しかし、元横綱鶴竜の独立に伴って音羽山を譲渡することになり、代わりとなる恒久的な年寄株を確保できなかったことが直接の退職理由です。
まとめ:遠藤の引退後を見据えた「北陣親方」誕生へのカウントダウン
大相撲の歴史において、数々の名勝負とドラマを紡いできた年寄名跡「北陣」。現在の空位という状態は決して名跡の衰退を意味するものではなく、ひとりのスター力士が第二の相撲人生へと羽ばたくための充電期間に他なりません。
端正な取り口と不屈の闘志で土俵を盛り上げてきた遠藤が、現役のまげを落とし、正式に「北陣親方」の看板を掲げる日は確実に近づいています。伝統の重みを受け継ぐ新たな北陣親方が誕生し、後進の育成に腕を振るうその瞬間を、角界全体が静かに待望しています。 (出典: 北 陣 親方 現在(Yahoo!ニュース))